芝大門で江の嶋に出会う
都営地下鉄大門駅からすぐ、芝大神宮(芝神明社)に程近い商店街に「芝神明 榮太樓」という和菓子店がある。梅ぼ志飴、甘名納糖(あまなっとう)で有名な日本橋の榮太樓総本鋪からの暖簾分けで、明治18年(1885年)の創業という。看板商品は「江の嶋最中」。貝の形をした皮に自家製の餡を包んだ一口サイズの可愛らしい最中である。貝には5種類あり、ホタテにはこし餡、アワビにはつぶ餡、赤貝にはごま餡、カキには白餡、ハマグリにはゆず餡と、それぞれ異なる餡を包んでいるのがまた楽しい。でも、なぜ芝大門で湘南・江の島なのか。
実はこれ、明治の文豪・尾崎紅葉の命名。芝大門は紅葉が生まれ育った土地で、店をよく利用し親交があった。そこで明治35年(1902)に発売したこの商品の名付け親になってもらったのである。山田流箏曲の創始者、山田検校が作曲した「江の嶋の曲」に、いくつもの貝の名が織りこまれていることにちなむらしい。
といっても、尾崎紅葉の名にピンとこない方も居よう。私もその1人である。だが「熱海の海岸散歩する、貫一お宮の…」とくれば眠っていた記憶も蘇る。小説「金色夜叉」は読売新聞に明治30年(1897)から35年(1902)まで連載され、大人気を博したといわれる。実際に読んではいないので、後に何度か制作された映画やドラマ、あるいは先輩諸氏が宴会芸で披露した歌や寸劇が脳裏に焼き付いているのであろう。悲恋の物語という印象があるが、タイトルの「金色夜叉」は金の力を振り回す鬼といった意味で、金さえあればという風潮への批判が込められた作品とされる。
結局物語は未完のまま、紅葉は明治36年(1903)に35歳で没した。「江の嶋最中」発売の翌年のことであった。商品の「江の嶋」の文字は紅葉の筆で「紅葉山人」の署名もある。化粧箱の掛け紙の図柄は「金色夜叉」で挿絵を描いた武内桂舟の手によるという。そんなエピソードを語らいながらお茶うけにいただけば、一段とおいしさも増すことだろう。
なお、店から5分ほどのところに「尾崎紅葉生誕の地」がある。訪ねてみたが、小さな稲荷神社のほこらの裏に簡単な標示板があるだけだった(写真右)。港区指定文化財の「旧跡」とのこと、何とかもう少しうまく演出してもらいたいものである。
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