江戸城外堀の眺望
赤坂プリンスホテルがなくなった後、2016年5月に東京ガーデンテラス紀尾井町ができて、景色がだいぶ変わった感のある赤坂見附、紀尾井町あたり。そうした時代の変化の中でも、かつての江戸城外堀の歴史がまだまだ残っているのが個人的に嬉しい。
東京ガーデンテラスが建つ地は、紀州藩徳川家の中屋敷があった場所、向かいのホテルニューオータニが建つ地は、徳川家の重臣、彦根藩井伊家の中屋敷があった場所、さらにその北側、上智大学の建つ地が、尾張藩徳川家の中屋敷があった場所、この3つの大名屋敷にちなんで「紀尾井町」と名付けられたのは良く知られた話だ。2017年1月、NHK大河ドラマで井伊家がクローズアップされていることもあり、久しぶりに歩いてみることにした。
地下鉄赤坂見附駅を出ると、多くの人が弁慶橋を渡って紀尾井町へと流れていくが、この弁慶橋は明治になってから架けられたもの。遠く江戸時代に思いをはせるなら、弁慶橋を渡らず弁慶濠沿いに左へ折れて、紀伊国坂を上っていくのが面白い。左に赤坂御用地の塀が見えると、まもなく右に折れる細い道が現れる。江戸時代、外堀が完成する前からあった道ということで、ここからの眺めは素晴らしく、外堀のスケール感が実感できる(写真左)。
さらに道沿いに歩いていくと、両側から土塁が突き出たようになって、道がクランク状に曲がっている。見通しが悪いことこの上ない(写真中)。特に車を運転する人は、「こんな道、真っすぐにすれば良いのに」と思うだろう。だが、そうしない理由がある。ここは「喰違見附」(くいちがいみつけ)の遺構として保存されているのだ。かつて江戸城には数十を数える「見附」が置かれ、役人が人々の出入りを監視し、有事には敵の侵入を防ぐ役割を担っていた。そのほとんどが立派な石垣と二重の門を備えた「枡形」という堅固な構造だったが、この喰違見附だけは地形を活かして道を曲げ、土塁を築いただけの構造になっていて、江戸城築城の歴史上、大変貴重なものだそうだ。見附の先では、左を尾張藩徳川家(現上智大学)、右を彦根藩井伊家(現ホテルニューオータニ)が睨みを効かせていたから防衛上問題なし、ということだったのだろうか。
ここから外堀に沿って続く土手の上を歩き、四谷見附跡や牛込見附跡(飯田橋)を訪ねてみるのも良し、喰違見附跡を抜け、清水谷公園や東京ガーデンテラスに立ち寄り、赤坂見附跡の石垣(写真右)を見学して帰るのもまた良しであろう。
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