ホームへ戻る 祭、イベントへ 名所旧跡へ ショップ、商品へ 時代の断片、他へ

眠れる可動橋

晴海通りを下り、右手に築地場外市場、左手に築地本願寺を見てさらに行くと「勝鬨橋」にたどり着く。隅田川にかかる26の橋のうち最も河口に近い橋であり、清洲橋、永代橋とともに2007年6月に国の重要文化財に指定された。
橋ができたのは昭和15年(1940)、7年に及ぶ工事だった。当時の国家的なプロジェクトであったらしく、設計施工はすべて日本人の手によるものとされる。その名は明治38年(1905)、日露戦争祝勝記念として、築地と対岸の月島を結ぶ「勝鬨の渡し(舟)」が設けられていたことに由来する。
特徴は、何といっても中央部分がハの字に開いて大型船も通せるようにした可動橋であることだ。「たしか、ゴジラに壊されたよな」などと語れるのは相当マニアックな年配者であろう。初代ゴジラは昭和29年(1954)の映画で、確かにその頃は日本が誇る建造物の1つであったに違いない。しかし残念ながら、隅田川の倉庫群は姿を消して大型船の通行がなくなり、逆に道路交通量が急増したことで、昭和45年(1970)11月29日を最後に開閉は中止され、以来長い眠りについたままだ。橋の築地側のたもとに「かちどき 橋の資料館」があり、100分の1の模型が展示されているが、さすがにちょっと寂しい(写真右)。構造的には今でも問題はないとされ、再開閉を望む声は少なくないが、実際に開閉するとなるとその費用は何億円になるか何十億円になるか見当もつかず、実現は難しいようである。
資料館に来ていた男性が言った。「子供のころ遠足に来て、橋が開くのを見ながら弁当を食べたことが懐かしい」。中央の可動部の橋脚に運転室、見張室など4つの部屋が設けられたユニークな意匠に、隅田川河口のシンボルとして多くの人々に親しまれた往時の雄姿をしのびたい。
なお、橋の資料館では、普段は入れない橋脚内の機械室などを見学できるツアーも実施している。

CONTENTS

旧新橋停車場にエール

イタリアの空気

封印された怪物たち

芝離宮に梅の便り

関心高まる「徳川家霊廟」

浜離宮でお花見

高さ50mの海上を歩く

「黒船」の影

晴海埠頭の非日常

防災を考える公園

工業地帯の残像

古代インドに出会う

薄れゆく「島」の記憶

明治丸、再び美しく

眠れる可動橋

偉容を競う三田の建築物

赤レンガの館のあるキャンパス

大学として現代を生きる公爵邸

白金のキャンパスに建つ洋館

白金の東京大学

白金の歴史的建築物の再生

桜を愛でつつ墓マイラー

乃木坂の特別な日

赤プリ旧館の貴重な1日

江戸城外堀の眺望

カナダ大使館の感動

公園はミステリー・ゾーン

赤坂の宮殿を身近に感じる日

赤坂の“森”に迷い込む

出世の石段

チューリップ咲く庭

もみじ谷、色づく

大官庁街建設の夢

桜田門の桜

天守台に立って

「北の丸」で一休み

北の丸の赤レンガの館

縁結びの神社、活況

バラ香る屋上庭園

ビルの谷間の聖域

ピカピカの歴史的建築物

時を閉じ込めたオフィスビル

都心に残る復興小学校

橋の記憶

江戸の大橋の面影

東京のパナマ運河?