ピカピカの
歴史的建築物
建て替え問題でモメている東京駅丸の内南口の「東京中央郵便局」から少し有楽町寄り、かつて三菱商事のビルがあった跡地に、古風なデザインの真新しいビルが姿を現した。「三菱一号館」と言い、2010年春に美術館としてオープンする。
丸の内オフィス街一帯は、三菱が明治23年(1890)に政府から払い下げを受けた時、大名屋敷跡の何もない土地であった。そこに明治27年(1894)、丸の内初のオフィスビルとして建設されたのが「三菱一号館」だ。大正3年(1914)に東京中央停車場(東京駅)が完成する20年も前のことである。写真からもわかるように、赤煉瓦造りの優美なビルで、設計したのは鹿鳴館や現存するニコライ堂などを手がけた政府招聘の英国人建築家、J.コンドル。以後このあたりには、軒の高さを同じくする赤煉瓦のビルが建ち並び、さながらロンドンのような街並みが出現したそうである。
そうしたオフィス街形成の先駆けとなった「三菱一号館」は、関東大震災にも東京大空襲にも耐えて生き残ったが、高度成長下の近代的なオフィス需要の高まりの中、昭和43年(1968)に取り壊され、74年の歴史を閉じた。その時に設計図面や一部の部材などは建築資料として保管されており、今回はそれらを活用して復元されたそうである。しかし、あくまでも「新築」なので、いかに素晴らしい出来栄えでも建物が刻んできた歴史の重みは再現のしようがない。それは、同様に新築された「旧新橋停車場」を訪ねても痛感する。「三菱一号館」は、災害などではなく人為的に失われた建物であるのが一層残念である。
CONTENTS