ビルの谷間の聖域
皇居にほど近い大手町のビルの谷間に小さな森のような一画があり、東京都旧跡「将門塚」と記されている。将門とは平安時代の関東の豪族で、武士の先駆けともいわれる平将門のこと。関東を平定し自ら「新皇」を名乗って統治しようとしたが、朝廷の怒りを買い「朝敵」として滅ぼされた。この事件は「平将門の乱」あるいは、承平・天慶年間(931~947年)に起きたため「承平・天慶の乱」として知られている。
「将門塚」は、実は平将門の首を埋葬したとされる地なのだ。討死した将門の首は京都でさらし首にされたが、妖しい光を放って東方へと飛び去り、雷鳴をとどろかせ大地を揺るがしてこの地に落ちたという。その後も将門の怨霊の祟りとされる現象が相次ぎ、14世紀の初頭、かつてこの地にあった神田明神に神としてお祀りしたところ、ようやく祟りも収まったとか。将門は、朝廷の悪政にあえぐ貧しい民衆のために立ち上がった英雄として関東では広く崇敬されており、徳川家康の江戸城築城の際に外神田に遷座した神田明神には現在も祭神として祀られ、厄除の神様として信仰を集めている。
さて、その平将門の命日とされるのが、太平の世が「バレンタインデー」に浮かれている2月14日である。2011年の当日は、雪が舞う寒い1日であったが、将門塚には花がきれいに飾られ、1人、また1人と参拝者が訪れては線香をあげ、手を合わせていった。私も丁寧に頭を下げ合掌をして会社のある新橋に戻ったが、ついうっかり烏森神社の近くを通りすぎてしまった。これはいかん、烏森神社といえば、平将門を討った藤原秀郷が戦勝を祝って建立したとされる神社ではないか! ちょっと冷たい空気が背筋を走ったように感じたが、たぶん気のせいであろう。
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