「黒船」の影
「お台場海浜公園」は知っていても「台場公園」は知らない方が多いのではないか。お台場ビーチの先にあるが、「ゆりかもめ」のお台場海浜公園駅から1キロ以上、歩いて15分ほどかかるためか、訪れる人はさほど多くない。
実はここ、江戸時代に海上に築かれた砲台跡で「台場」の名の由来でもある。1853年7月の「黒船」の来航を脅威に感じた幕府は、緊急防衛策として品川沖に12基の砲台を計画した。砲台は1年余りで6基が完成したものの、開国が決定されたため実戦に使われることはなく、港湾整備の過程で新たな埋め立て地の一部になったり撤去されるなどして、現在はわずかに第三台場と第六台場の2基が残るのみ。このうち第六台場は立入が禁止されて鳥類の保護地域のようになり、第三台場だけが昭和3年(1928)に史蹟公園として一般に開放され、その後「都立台場公園」となって今日に至っている。
実際に足を踏み入れてみると、期待以上の眺めである。そして外見からは全くわからないが、中央部がくぼんで、平坦な土地が広がっていることに新鮮な驚きがある(写真上左)。そこに、陣屋と呼ばれた兵舎の礎石や弾薬庫跡(写真上右)などが残っている。大砲の台座(写真中左)もあるが江戸時代のものではないとの注釈あり。詳しい説明はないが、公園整備の過程で演出されたものということだろう。さらに、北側つまり陸地側に回ると昭和2年(1927)に建てられた「史蹟 品川台場」の記念碑があり、小さな船着き場が見える(写真中右)。ここが陸続きになったのは昭和40年代のこと。幕末以来、人や物資はすべてこの船着き場から上陸していたのだ。改めて、ここが「島」であったことを気づかせてくれる。そして、「島」の全体像はレインボーブリッジの遊歩道から航空写真のように見渡すことができる。この景観がまたすばらしい(写真下)。
それにしても、財政が厳しい中、1年でこのような軍事施設を6カ所も作ったとは、当時の幕府の危機感は相当のものであったに違いない。ふと海上に目をやると、かすかに「黒船」の影が見えそうな気がした。
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