赤坂の“森”に迷い込む
神社というのは、樹木がうっそうと茂って昼も薄暗く、湿り気があり、何かおどろおどろしい空気に包まれているところ、という幼い頃の記憶がある。人里にあっても、そこは“森”だったのだ。今や都会の神社はどこも緑が減って明るくなり、コンクリートの街に同化してしまったかのようだが、中には今なお怪しげな雰囲気を残しているところもある。初めて訪れる人は、えっ、こんなところに?と思うだろう、地下鉄溜池山王駅から徒歩10分ほど、アークヒルズや東京ミッドタウンにも近い赤坂氷川神社もその1つだ。
実はこの神社、忠臣蔵と関係が深い。元禄14年(1701)に江戸城松の廊下事件を起こした赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩の妻、遙泉院の実家であり、内匠頭の切腹後、余生を過ごしたとされる三次藩浅野家の下屋敷がここにあったからである。夫も妻も浅野姓だが、系譜をたどると、どちらも豊臣五奉行の筆頭、浅野長政にたどりつく。もともと親戚筋なのである。ご存知の通り、赤穂藩浅野家はお取りつぶしとなったが、広島藩の支藩である三次藩浅野家も跡継ぎに恵まれず、享保5年(1720)に藩自体が断絶となった。そして、享保15年(1730)、主がなくなったこの屋敷地に、8代将軍徳川吉宗が社殿を建立して他の土地にあった宮を移し、今の赤坂氷川神社となったのだそうだ。
境内には浅野家の悲劇を見つめてきたであろう樹齢300年を超える銀杏の巨木がある。その他、古い社殿、楼門、なぜか3対も4対も鎮座する狛犬、同居する複数の稲荷神社、大小多数の鳥居……そこらじゅうに神霊やら妖怪やらが潜んでいそうな気配である。都会の喧騒から、一気に時間を超越し不思議な世界に迷い込んでしまったような感覚が想像力を刺激する。
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