薄れゆく「島」の記憶
写真は隅田川河口に浮かぶ大川端リバーシティ21である。2000年に竣工し、都心の超高層マンションブームの先駆けとなったといわれる。小心者ゆえ、つい地震や洪水は大丈夫なのかと心配してしまうが、風景としてはなかなか美しい。右側に見えるデザインに凝った吊り橋は、1994年に開通した「中央大橋」。リバーシティ21からこの橋を渡って道なりにまっすぐ進むと、何と東京駅八重洲口の正面に出る。そうする人は少ないだろうが、歩いても20分余りであろう。すごいロケーションだなあと感心しながら橋を渡り、リバーシティ21に入る。河岸一帯は「石川島公園」として整備され、その最北端から望む永代橋方面の眺めはちょうど隅田川を上る船のデッキにいるようで気持ちがよい(写真中)。
ところで、新しいものができると、かつてそこにあったものの記憶など、たちまちのうちに失われてしまうものだ。実はここは江戸時代に人工的に築かれた石川島という島で、軽度の罪人などを収容し仕事を与えて更生を助ける施設「人足寄場(にんそくよせば)」が設けられていた。その後、ペリー来航の年(1853)に幕府の命で石川島造船所が開設されて日本の近代造船業の歴史が始まり、明治以降は民間の手に移って、石川島重工業・石川島播磨重工業(現IHI)の創業の地となった。造船所が昭和14年(1939)に移転した後も重機械類の生産拠点となっていたが、昭和54年(1979)に全面閉鎖となり、跡地が当時の住宅・都市整備公団と三井不動産に売却され、今日に至ったという経緯である。
リバーシティ21の住居表示は、隣にあった「佃島」にちなむ中央区佃1丁目・2丁目で、石川島の名は先の公園名に残るくらいのものになってしまった。ここに日本初の民間の造船所があったことも、敷地内の記念碑(写真下左)やビルの一室に設けられた「石川島資料館」(IHIが運営、水曜・土曜の週2回開館:写真下右)が伝えるのみである。これだけの開発をするなら、何とかもう少し歴史の面影を残す努力をしてほしいと思うのだが。
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