歴史を刻む盆踊り
隅田川河口にある佃島地区は、もともとは大阪の佃村(今の大阪府西淀川区佃)の漁民が幕府に請われて江戸に入り、自ら海を埋め立てて移り住んだ「島」であった。漁民たちが採れすぎて余った小魚などを煮込み保存食として食していたものを徳川家康がたいそう気に入り、諸大名を通じて全国に普及したのが「佃煮」のいわれという。
その佃島では毎年、7月13日から15日にかけて、盆踊りが行われる。月遅れ盆に馴染んでいる私には、7月の盆は実に早いと感じる。最近の盆踊りは夏祭りのアトラクションのようになっているが、本来は盆に祖先の霊や、帰るところのない無縁の霊を慰めるための踊り。佃島の盆踊りは「念仏踊り」とも呼ばれ、そうした古くからの伝統を守り伝えるものとして、東京都の無形文化財に指定されている。中央区内とはいえ、気軽に訪れるには不便な土地であったが、昭和63年(1988)に有楽町線の、そして平成12年(2000)には都営大江戸線の月島駅が開業してから交通が便利になり、外部からの見物客も増えているようだ。私もその一人として、今年2009年7月13日、汐留から大江戸線に乗り、初めて訪れてみた。
会場は月島駅から7~8分、佃島のシンボルにもなっている赤い欄干の「佃小橋」のすぐ近く。広場を兼ねたメイン通りに、小さな櫓が立てられている。型にはまったような式典もなければ、にぎやかなお囃子も、派手な物売りの屋台なども一つもない。その素朴さに、かえって心ひかれる。
6時半頃から子供たちがぽつり、ぽつりと集まり始め、大人たちの指導を受けながら、通りにそって細長い踊りの輪を作っていく。会場の隅田川寄りには、無縁仏を祀る棚がしつらえてあり、まずお祈りをしてから踊りに加わるのがしきたりである。単調な唄声と太鼓の響きに乗り、同じ振付と掛け声の踊りがえんえんと繰り返される。遥か昔からの伝統を伝える唄と踊り、昭和30年代の東京を描いた「三丁目の夕日」のセットのような街並み、その背後に見える対岸の超高層ビル「聖路加タワー」とのコントラスト。それらが創りだす不思議な空間の雰囲気が、幾世代もの人々が刻んできた江戸東京の長い歴史を思い起こさせてくれる。
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