天下祭の伝統に触れる
赤坂日枝神社の「山王祭」があった。祭りの名は、日枝神社がかつて「山王権現」「山王社」と呼ばれていたことに由来する。江戸時代、神田明神の神田祭とともに、神輿と山車の行列が江戸城内に入ることを許され、歴代の将軍が上覧したため「天下祭」と呼ばれ、2つの祭りは、今日まで1年交替で盛大に開催されている。大規模に行う年の祭を「本祭」、控え目に実施する年の祭を「陰祭」という。このように2年に一度、あるいは3年に一度「本祭」を実施している神社は少なくない。毎年大規模な祭りを開催していたら、お金も人手もかかって大変だ、仕事も手につかないだろうから自粛せよ、ということかもしれない。
今年2010年は5月の神田祭が陰祭、6月の山王祭が本祭である。秋に行われる芝神明の「だらだら祭り」も期間が長いがこちらも長い。今年は6月7日から17日までの11日間である。だが長いといっても、いろいろな行事がミックスしているからで、メイン・イベントはおのずと限られる。神事など神社にとって大事な行事と一般人が盛り上がる行事は若干違うが、一般的に見て、最大の見どころは「神幸祭」と「氏子各町連合宮入」であろう。2つの行事とも、江戸の祭りの伝統を色濃く残していて見ごたえがある。
11日に行われた神幸祭は神様が神社を出て氏子各町を巡るもの。神様が乗った2基の鳳輦(ほうれん)と1基の宮神輿、それに従う3基の山車を中心に、王朝風の装束でまとめられた200~300メートルにも及ぶ大行列が都心を巡行するさまは壮観である(写真上2枚)。氏子地域が広いため、朝8時にお宮を出発、四谷から九段、内堀通りを通って祝田橋から皇居外苑に入り、坂下門で神事を挙行、さらに丸の内、日本橋、八丁堀、銀座、霞ヶ関を回って戻ってきたのは夕方5時過ぎ。まる1日をかけての一大パレードであった。
明けて12日の夕方には氏子各町連合宮入があった(写真下2枚)。紀尾井町の清水谷公園を出発した9基の神輿と3基の山車は5時半頃に神社の男坂に到着、神輿は威勢の良い掛け声とともに次々に急な石段を担ぎ上げられ、神門をくぐって社殿に到着、お祓いを受けた。社殿前は大勢の人でごった返したが、大騒ぎもどこか規律正しく感じられるのは、さすが都心の祭りである。
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