赤坂に江戸の賑わい
今年2009年も秋祭りの季節となり、東京ミッドタウンに程近い赤坂氷川神社でも「赤坂氷川祭」が催され、週末の19日・20日には山車と神輿が街を練り歩き、神社境内は露店や盆踊りで賑わった。
一番の見どころは、都心では珍しい江戸文化を今に伝える「赤坂氷川山車」の巡行であろう。高さ7メートル、重さ3トン、最上段にそれぞれ「源頼義」(武者姿)「源頼朝」(狩衣姿)の人形を飾った2台の氷川山車がそろって赤坂の街を往く19日の連合巡行、また20日の氷川山車1台と氏子町会の神輿など15基との連合渡御も、実に華やかで力強く、見ごたえのあるものであった。
赤坂氷川山車保存会の資料によると、かつての祭礼では宮神輿を氏子町の山車13台が守る形で巡行が行われたそうだ。赤坂氷川山車は江戸型山車と呼ばれ、3層構造の最上部に人形が乗り、しかもその人形は2層目から最上部にせり出す構造になっている。木の枝や電線が邪魔な通りでは人形は収納され(写真右中)、広いところに出ると人形が姿を現す。これはもともと天下祭(山王祭、神田祭)の山車が、将軍の上覧に備え、江戸城の門をくぐりぬけるために行った工夫で、それが標準仕様になったらしい。江戸型山車は明治以降、次々に関東各地に流出し、残ったもののほとんどは大震災や戦争で失われたが、赤坂には13台あった中の9台までが保存されていたそうだ。とはいっても傷みがひどく、一部の展示はできても、とても巡行できる状態ではなかった。これを何とかしようと2006年にNPO法人赤坂氷川山車保存会を設立して組織的に修復事業に取り組んだ結果、2007年に1台が完成して100年ぶりに巡行が復活、2008年にはもう1台が完成して2台の連合巡行が実現した。そして今年2009年は本祭りの年にあたり、神輿との連合渡御が行われるに至ったのである。赤坂サカスに終結した山車と神輿の一団は、超高層ビルをバックに、近代都市と伝統文化との不思議なコントラストを演出していた。
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