橋の記憶
首都圏の私鉄の中で、最も通勤時の混雑率が高いといわれる東西線から、日本橋で銀座線に乗り換え、京橋、銀座、新橋、虎ノ門。私の通勤経路である。
さて、この銀座線の5駅の中で3つまで「橋」がつく。これは、文字通り「橋」に由来した地名からきている。江戸の街は、あちこちに堀や川が流れ、町中にたくさんの橋があった。特にこの3つの橋は江戸のメインストリートに設けられたもので、親柱(欄干の両端などにある橋の名を刻み意匠をこらした柱)が擬宝珠(葱坊主のような形のもの)で飾られた格式の高いものだったらしい。
日本橋は、江戸幕府開府とともに架橋され、五街道の起点となった。その後何度も架け替えられ、現在あるのは明治44年(1911)の築という(写真左)。京橋は、京都へ向かう街道に架けられた最初の橋といった意味合いらしく、大阪をはじめ各地に名称が残っている。昭和34年(1959)に京橋川が埋め立てられた時に撤去され、今は3本の親柱が残る。擬宝珠の形をしている2つが明治8年(1875)のもので、照明設備を内蔵しているのが大正11年(1922)のもの(写真中)。また新橋は汐留川に架かる橋であったが、昭和36年(1961)に埋め立てられて姿を消した。現在残っているのは大正14年(1925)の架け替え時の親柱である(写真右)。いずれの親柱も、往時の橋の立派さを今に伝えている。
なお、京橋と新橋の親柱は新宿御苑近くの「東京みちの情報館」にも残されているそうだが、やはり、それが存在した場所で鑑賞するほうが何倍も想像力を刺激することだろう。
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