汐留川の上で(2)
会社から汐留川のあとを下ってみた。汐留川は新橋駅のあたりまでは明治時代に埋め立てられ、そこから先は1951~1963年にかけて埋め立てられ、さらに川の流れに沿って首都高が上空を走っている。首都高「土橋」出入口が新橋駅前にあるが、この名称は、まさのこの場所で汐留川にかかっていた橋の名前であったとのこと。
土橋からさらに下流に2つの橋があり、そのひとつが「新橋」の地名となっている。銀座中央通りに通じる道、つまり日本橋を基点とした「東海道」が汐留川をまたぐ橋である。現在、それを示すモニュメントが狭い面積で残されていた。
1710年、この橋を渡ったところ、つまり銀座の入口に「芝口門」が作られたのだが(1724年に門が焼失するまで新橋は「芝口御門橋」と呼ばれた)その門を描いたレリーフがあった。手前を流れているのが汐留川、門の向こうは銀座である。右に見える川は「三十間堀川」で、銀座が四方を川に囲まれた島であった様子を示している。三十間堀川も江戸時代に人工的に掘られた水路であり、1948年以降すべて埋め立てられた。
江戸時代の新橋付近は、水路を渡る舟によって物資や情報が頻繁に飛び交っていた街のようだ。私の足元の土地でも200年前、さかんに人と物が行き交っていたのだろう。それは今でも変らないのだ。
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