乃木坂の特別な日
明治天皇の御大葬が行われた大正元年(1912)9月13日、陸軍大将乃木希典は天皇に殉じ、静子夫人とともに自邸で自刃した。日清・日露戦争で活躍し、名将として人格者として当時の多くの国民に崇敬された人物だ。その御霊を祀った神社ができ、坂の名前となり駅名となって、正式な地名でこそないがこの一帯を表す名称として定着しているのだから大変なものである。
さて、乃木夫妻は戦死した2人の息子とともに青山墓地に眠り、邸は遺言により東京市に寄贈されて、現在は港区の乃木公園になっている。明治35年(1902)に建設された邸の建物は、ほぼ当時の姿をとどめたまま残っており、内部は通常非公開だが、命日にあわせ、9月12日・13日だけは特別公開される。港区の資料によれば、フランス軍の建築物を模して自ら設計したといわれ、玄関側から一見する限りは2階建の木造家屋だが、広い半地下のフロアを持つ珍しい3階建構造の和洋折衷建築である。延床面積は120坪余りで、今の庶民感覚からすれば大邸宅だが、当時の有力者にしては極めて質素な造りだったらしい。確かに、贅を尽くした余分な装飾などは一切なく、まさに質実剛健といった感がある。ただこの日の公開では、夫妻が自刃した時に着用していた服や愛用の品などが部屋の中にやたらに多く展示されすぎて、ちょっと興ざめであった。
訪れた2010年9月12日、お隣の乃木神社では、第二日曜日恒例の「蚤の市」が開催されていた。はやりのフリーマーケットとはひと味違う、骨董品類の出品が多い由緒ありげな市である(写真下左)。また、乃木神社はなかなかきれいな神社で、結婚式場としても人気があり、この日も2組が式を挙げていた(写真下右)。さらに乃木夫妻の命日である明日13日は神社の例祭の日でもあり、その準備も重なって、何かとにぎやかな特別な日のようであった。
CONTENTS