都心に残る復興小学校
いつも大勢の人で賑わう銀座中央通り。その中心、4丁目交差点から有楽町に抜ける途中にある数寄屋橋公園は、公衆トイレを拝借するのも、愛煙家が一服するにも便利であるが、ちょっと奥まで足を延ばして、歴史ある建物を鑑賞するのもおすすめである。昭和4年(1929)に建てられた泰明小学校(写真上)である。
大正12年(1923)に発生した関東大震災で東京は壊滅的な被害を受け、当時の東京市立小学校196校のうち117校が焼失したが、何と7年ほどの間にそのすべてを耐震性・耐火性の高い鉄筋コンクリートの校舎に建て替えた。これを復興小学校という。同時に、火災の延焼を防ぎ避難路を確保するために、3つの復興大公園と52の復興小公園の整備を急いだ。小公園はすべて小学校に隣接して設けられ、平常時は校庭の延長、あるいは住民の交流の場として、災害時には校舎を含めた避難施設としての運用が考えられた。
建設から80年以上が経過した今も当時の校舎が残っている例はいくつかあるが、閉校し他の施設に転用されているケースも多く、現役の小学校としては、泰明小学校や、東京駅・日本銀行本店にほど近い常盤小学校(写真中)が代表的であろう。アーチ形をした窓が連なる外観に、失礼ながらとても官公庁が建てた学校とは思えない、しゃれたデザイン性が感じられる。
一方、復興小公園で開園当時の姿をとどめているのは、水道橋駅近くにある元町公園ただ1つといわれる(写真下)。小規模ながら、どこかの宮殿の遺跡のようなたたずまいが心をとらえる。大変な時期に、これだけの意匠を凝らした公園を作ろうとした心意気に敬意を表したい。そして、少しでも長く、その歴史を語り継いでもらいたいと思う。2013年現在、いまだ道半ばの東日本大震災の復興でも、ぜひ後世に、すばらしい建築物を残してほしいものである。
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