無料の首都高
車でよく走る人はどう思うかは知らないが、あちこちで再開発が進む様子を、いつも地面から見上げていると、つくづく邪魔だなあと思ってしまうのが首都高である。
首都高といえば首都高速道路公団、民営化で2005年に首都高速道路株式会社になったが、国の政策として整備が進められてきたと誰もが思う。
だが、東京の高速道路は、最初は民間企業によってつくられている。会社の名は東京高速道路株式会社。昭和26年(1951)に財界人らが発起人になって設立された。その会社が、汐留川、外堀、京橋川を埋め立て、そこにビルを建て、屋上を高速道路にするという離れ業をやった。どこの話かピンとこない人は、西銀座デパートや銀座インズ(写真左)の上を走っている道路だといえばわかりやすいだろうか。
昭和34年(1959)、新橋駅近くの土橋(写真中)から、有楽町のビックカメラ近くの城辺橋までの1キロ余りが開通した。最初は一方通行だったそうだが、首都高速道路公団が昭和37年(1962)に京橋-芝浦間4.5キロを開通させる3年前のことである。その後、東京オリンピックをはさんで昭和41年(1966)に、新京橋-蓬莱橋間(汐留シオサイト1区付近)の全線が開通、以来ずっとこの会社が運営している。2008年現在、首都高速の総延長約300キロに対し、約2キロとわずかな距離だが、この中に14のビルがあり、その賃貸収入で稼いで道路は無料で供用しているというのがユニークである。
ところで、土橋から蓬莱橋までの間にある3つのビルは、銀座ナイン(写真右)というショッピング街になっている。かつては新橋センターという名だったが、昭和60年の改装で改名された。都市史研究家の鈴木理生氏の著書によれば、中央区と港区の区境であった汐留川の上にできたビルのため未だ正式に帰属が決まっておらず、銀座9丁目(現在は8丁目までしかない)でありたいとの願いがこめられた命名なのだそうだ。
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