歴史ある小学校が消える
あちこちで再開発が進む中、地下鉄神谷町駅に近い虎ノ門3丁目・4丁目地区も大きく変わろうとしている。41年間営業してきたホテル「虎ノ門パストラル」は2009年9月に閉館し(写真上左)、森トラストが中心となって住宅とオフィスのツインタワーを建設する計画が動き出している。隣接地では、大成建設を中心としたグループが廃校になった小学校の跡地を再開発し、港区教育センターと気象庁の複合施設を建設する計画が、2014年竣工を目指して進行中である。
ところで、この小学校、ちょっとした歴史がある。日本の近代初等教育は明治5年(1872)の学制発布によって始まったが、東京府がそれに先立つ明治3年、増上寺の敷地内にあった源流院という寺院を仮校舎にして最初の小学校を開校した。都営地下鉄御成門駅A3出口のすぐそばに、その地を示す碑が建っている(写真左)。同校は翌明治4年、西久保巴町(現在の虎ノ門3丁目)に移転したが、まさにその日本最初の公立小学校がここ「旧港区立鞆絵(ともえ)小学校」である。鞆絵というのは難しい言葉だが巴と同じ意味で、「,」のような絵柄のことをいう。弓を射る時、跳ねる弦から体を保護するために着用した鞆(とも)という武具の形に由来するらしい。
さて、この歴史ある小学校はやがて児童数の減少により、1991年に桜田小学校などとともに御成門小学校に統合され廃校となった。1971年築の建物は、その後も港区エコプラザなど区の施設に利用されてきたが、ついに取り壊しが決まり、2010年に入って解体工事が本格化している(写真上中)。まだ校庭にはおなじみの二宮金次郎像が残り、傍らにはつぶれて朽ち果てようとする百葉箱があったが、たぶん、あっという間にきれいさっぱり消えて無くなってしまうことだろう。貴重な歴史をどう伝えていくかが気になるところである。
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