ウインドーの中の祭具
当社が入居するビルの向かいに日本中央競馬会のビルがある。なぜかそのショーウインドーに神社の祭具が飾られていて、提灯には「桜田神社」の名がある。
このあたりには、桜田門をはじめ、桜田通り、桜田公園など「桜田」という名称が多い。これはその昔、地域一帯にたくさんの桜の木が植えられ、「桜田郷」「桜田村」と称されていたことに由来する。桜田神社は1180年、今の桜田門のあたりに源頼朝の命により開かれたとされ、その後、室町時代後期の1470年ごろ、江戸城を築いたことで知られる武蔵国の武将・太田道灌が立派な社を建立して崇敬したといわれる。
やがて徳川の時代になると江戸城の大規模拡張工事が行われ、神社は二度にわたる遷座を余儀なくされたが、「桜田」の名は広い範囲にいくつもの町名として残り、多くの人々が氏神様として崇め続けた。西新橋1丁目も、昭和32年(1957)までは芝新桜田町という町名であった。その頃、日本中央競馬会前は広場になっていて、秋祭りには神輿の巡行も行われ、たいそう賑わったという。現在ではその面影はないが、2年に一度、ウインドーの祭具は同会1階ロビーに飾り直され、祭りの神事が営まれて御神酒が振舞われるそうである。
では当の桜田神社は今どこにあるかといえば、ここ西新橋1丁目から2キロ余り離れた西麻布3丁目(かつての麻布桜田町)、六本木ヒルズのグランドハイアットのすぐそばに、時の流れを忘れたかのようにひっそりとたたずむ。鳥居越しに見上げる森タワーは、どこか神をも畏れぬバべルの塔(バブルではない)のように見えないであろうか。
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