日比谷公園の「江戸」
会社から程近い日比谷公園は、明治36年(1903)、日本で最初に都市計画によって誕生した公園である。園内は変化に富んでいて、洋式庭園が造られていたり、雑木林のような所があったり、運動公園になっていたりと、訪れるエリアによって、さまざまな表情を見せる。その中で、最も東側の日比谷交差点に接するあたりは、公園がかつて江戸城外郭の一部であったことを思い起こさせてくれる部分である。
そこには大きな石を積んだ石垣があり、心という文字をあらわす心字池を中心に日本庭園が造られ、いわゆる「城址公園」のような雰囲気を漂わせている。石垣には「日比谷見附跡」と記された標識が立つ。江戸城には30数か所の城門があり、警備の施設が置かれていたが、ここはその1つ、「日比谷御門」があった場所なのである。「見附」と「御門」は同じことで、特に外郭の城門を「見附」(=見張り)という俗称で呼んでいたらしく、今も四谷見附(四谷御門)、赤坂見附(赤坂御門)といった名が残っている。
日比谷御門は、現存する桜田御門のような枡形門であった。江戸城の城門はみな門前に濠をまたぐ橋がかかっていたが、唯一この日比谷御門だけが橋がなかったそうである。
日比谷見附跡の石垣は池に沿って100メートルほど続く。造園にあたり、石垣とともに濠を池として残し、往時の面影をとどめる設計にしたという。濠は現在の石垣が途切れるあたりで公園の反対側にほぼ直角に折れ、外濠へとつながっていたらしい。石垣の上の遊歩道を散策しながら、目の前に広がる江戸城の姿を想像してみるのも良いかもしれない。
CONTENTS