新しい「汐留」に思う
オヤジの街と言われた新橋も、若い人や家族連れの姿がだいぶ目立つようになった。お台場の開発、ゆりかもめの開通、そして最近では旧国鉄の汐留貨物駅跡地の再開発によるところが大きいであろう。
もともと「海水の浸入を留める」という意味であった「汐留」の名は昭和61年(1986)、汐留貨物駅が廃止されて過去のものになるかと思われた。なぜかといえば、汐留という名は住居表示にもないからだ。しかし、2002年に都営地下鉄大江戸線とゆりかもめ、それぞれに汐留駅ができて駅名として復活した。そして汐留貨物駅跡地の港区東新橋1丁目および2丁目に姿を表した新しい街は「汐留シオサイト」と名付けられた。ここに勤める人の多くは、東新橋ではなく汐留で働いていると言うだろう。訪れた人は、汐留に行ってきたと言うだろう。そのほうがピンとくる。どうやら「汐留」は新しいブランドとして、価値を持ち始めたようである。
さて、汐留シオサイトの中でも若者や親子連れなどの増加に貢献している施設の1つが、2003年4月に竣工した日本テレビタワーではないか。番組関連のショップが人気を集め、半地下の広場でイベントが開催される時には大賑わいとなる。
その日テレタワーの外壁に2006年12月に設置された大時計も、名物の1つになっている。スタジオジブリの宮崎駿監督のデザインによる、幅12メートル、高さ8メートルの超大型のからくり時計で、1日に数回、動くところを見ることができる。しかし、個人的にはちょっと不満である。確かに巨大な時計だが、地上32階・塔屋2階建、高さ196メートルのビルと比べれば知れている。しかもオープンな屋外である。50インチの大画面テレビを大ホールで見てもさほど大きく感じないのと同じで、今一つ驚きがない。地下街の広場とか、エントランスホールとか、もう少し閉じられた空間に置かれたほうが、より一層この大時計の魅力が人々の心をとらえたのではないか、と残念に思うのだ。
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