汐留川の上で(1)
写真上の、何の変哲もない一方通行の道路。実は道路の右が千代田区内幸町、左が港区西新橋という「区界」なのだ。このあたりの地図を見ると、港区虎ノ門と西新橋の一部が外堀通りを超えて千代田区に食い込んでいるように見えて、外堀通りで区切ればよいものをと思ってしまう。なぜここに区界があるのか。東京に初めて区が制定された1878年の時点から、麹町区と芝区の境なのだ。となると、自然の境界線、多分「川」があったに違いないと思って調べたところ、ここには「汐留川」と呼ばれる水路があったことが分かった。水源は「溜池」(本物の池)で、そこから江戸湾に向かう水路「汐留川」は、江戸城外堀の一部であったという。この外堀に海水が入り込むのを防ぐための土手があったため「汐留」と呼ばれたそうだ。
「川」を上るように道路を抜けると、2003年7月に竣工した地上20階建ての「大同生命霞ヶ関ビル」が見える(写真中央)。実はここは、1918年から1999年までダイヤモンド社が本社を構えていた場所で、当社もその3階にあった。この「大同生命霞ヶ関ビル」の屋外テラス部分に、江戸時代・明治時代の周辺地図がプレートにして掲示されていた。これを見ると同ビル、そしてかつてのダイヤモンド社本社は、江戸時代に汐留川が流れていた場所の真上に位置することが分かる。ダイヤモンド社は原宿の明治通り沿いに移ってしまったが、当社は今もこの近くの西新橋1丁目で仕事をしている。まさに旧・汐留川の上にいるのかもしれないのだ。物と情報が舟に乗って動き回っていたであろう江戸の水路の上で、これからも情報の有効な水路となっていきたいと思う。
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