東京港の原点
JR浜松町駅は、羽田空港に向かう東京モノレールの乗り継ぎ駅としてよく利用するが、あまり駅を降りた記憶がなく、改札を出てみると風景が新鮮な感じ。北口から「芝離宮」を右手に見て海岸方向に10分も歩くと港に出る。伊豆七島や小笠原への定期便のターミナルとして知られる竹芝埠頭(竹芝桟橋:写真上2点)だ。公園や高層ホテルなどと一体になって整備され、南国の海洋リゾートのような雰囲気を演出している。新橋から「ゆりかもめ」に乗れば竹芝駅0分である。
デッキふうの舗道の南端に立つと、すぐそばに日の出埠頭(日の出桟橋:写真下2点)が見える。そもそも大正14年(1925)、この埠頭が築かれたのが東京港の始まりという。それまで東京湾には、沿岸漁業の漁船や生活物資を運ぶ小舟、遊覧船などがにぎやかに行き交っていたものの、大型船を着けられる岸壁がなかったのだ。日の出埠頭に続いて、昭和7年(1932)に南側の芝浦埠頭が、昭和9年(1934)に北側の竹芝埠頭が完成、やがて昭和16年(1941)に東京港が開港する。だが間もなく太平洋戦争に突入して軍用となり、実際に貿易港として発展をみるのは戦後しばらくしてからであった。
現在の日の出埠頭は、物資の輸送というより、浅草やお台場に向かう水上バスや東京湾をクルージングするレストラン船の発着で賑わっている。水上バスには、東京都観光汽船という民間の会社と(財)東京都公園協会の運営するものがあるが、日の出埠頭は前者のターミナルである。駅のプラットホームのように桟橋が並び、多い時には3隻、4隻の水上バスが次々に出発する。実際、このあたりは水上バスの往来が頻繁で、まさに「東京は水の都」の観がある。しかし東京湾の水上交通は、大正12年(1923)の関東大震災で陸上交通が壊滅的な打撃を受けたことを教訓として整備されてきた経緯があり、水上バスも単なる観光船にとどまらず、災害時の重要な輸送手段しての役割が期待されている。そんなことを考えながら港の景色を眺めていると、その平穏さがいっそう貴重なものに思えてくるのだ。
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