超高層ビルと日本庭園
2003年にできた六本木ヒルズ、2007年にオープンした東京ミッドタウン、地下鉄六本木駅の南と北に生まれた2つの新しい街は、幅広い客層を地域に呼び込み、六本木エリアの活性化に成功しているようだ。
六本木ヒルズは森ビル株式会社が中心となってまとめた既存市街地の再開発、東京ミッドタウンは国や東京都などがリードした防衛庁跡地の再開発ということで性格は異なるが、共通点もある。“タワー”と呼ばれる超高層ビルがシンボルになっていることもそうだが、ここで注目したいのは池泉回遊式、つまり池を中心に山や谷を配し回遊しながら景色の変化を楽しむ日本庭園の存在だ。それが、ともに中国地方一帯を支配した戦国大名・毛利元就にゆかりがある庭園であることも不思議な一致である。
毛利元就の長男の子である輝元は関が原の戦いで西軍総大将だったため広大な領地を失い、長州藩(萩藩)の藩主に封じられた。その江戸屋敷があったのがもとの防衛庁、つまり現在の東京ミッドタウンのあたりである。名園と言われ、檜の木が数多く植えられていたという庭園の一部は港区檜町公園に姿を変えて残ってきたが、今回の再開発にあわせて大幅にリニューアル、東京ミッドタウンとシームレスにつながる公園となった(写真上)。
また、長州藩には長府藩(下関あたり)という支藩があった。元就の四男である元清の子、秀元が初代藩主である。その長府藩の江戸屋敷があったのが六本木ヒルズのあたり。戦災や地権者の変更などにより庭園は失われたが、ヒルズ建設にあわせて「毛利庭園」が設けられ、人々の記憶を呼び戻すこととなった(写真下)。
2つの庭園は、もとの地形や巨木、古い灯篭などの遺産を一部活用してはいるものの、かつての姿を復元したものではなく、新しく作庭されたものである。ヒートアイアンド対策として緑化の推進が叫ばれていることや、国際化という面から日本文化、江戸文化を見直す動きもあって、“日本庭園”は再開発の1つのトレンドになるかもしれない。
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