時代を漂流する神社
新橋4丁目に「日比谷神社」という神社がある。すぐ近くに烏森神社と塩釜神社があり、狭い範囲に神社が集中している印象を受ける。
日比谷神社は、小さいながらも、都会の神社としてはなかなか趣のあるたたずまいである。なぜ新橋にあるのに「日比谷」かといえば、もともと日比谷の地にあったからである。江戸城築城にあたり、今の日比谷公園の一画に「日比谷御門」が設けられた際、同社は「日比谷神社」の名称はそのままに芝口(今の新橋駅の東側)に換地となった。380年ほど前のことである。以来、江戸名所の1つとして当時のガイドブックにも描かれるなどの隆盛を見せ、明治、大正と人々の信仰を集めてきたが、大正12年(1923)に関東大震災が起こる。新橋周辺は壊滅的な打撃を受け、その後の都市計画により、昭和3年(1928)に現在地への移転を余儀なくされたのであった。
だが、ここも「漂流」の終着点ではなかった。現在、社殿の周囲は写真のように立ち退きが進み、環状2号線(別名マッカーサー道路)の工事が行われている。ついに三度目の移転である。
新しい社殿は、200メートルほど離れた東新橋2丁目に建設中であった(写真下)。かつての芝口に近づいたということになるのだろうか。今年2009年の夏頃には完成しそうだ。
新社殿に御霊を移せば、今の社殿は取り壊しとなるのだろう。どこか懐かしさを感じるその姿もまもなく見納めである。それにしても新社殿は、汐留シオサイトのビル群をバックに、交通量の激しい国道15号線(第一京浜)とJR在来線・新幹線の高架が交差する場所にある。さぞ騒々しかろう。神様も落ち着いて休めないのではないかと、いささか心配である。
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