汐留の中の仙台
汐留で写真を撮っているときに目に入ってきたこのプレート、日本テレビ前広場の柱にさりげなく貼られていた。汐留を再開発したときの発掘調査により、この場所に仙台藩上屋敷があったことが確認されたとある。江戸時代のタウンガイド『江戸切絵図』を見てみると、なるほど「浜御殿」(現在の浜離宮)の内陸部の区画に「松平陸奥守」と書かれている。その広いこと、現在の電通本社ビル、汐留シティセンタービル、日本テレビタワー、汐留タワーの敷地を含む2万5000坪以上だそうだ。プレートに載せてある「屋敷絵図」から推測するに、現在の電通あたりが屋敷の中心のようで、その南側にあたる、絵図の右下部には、池を含む庭園があるのが分かる。この絵図の右側部分に汐留川が流れていて、船入り場もあったはずだ。以前に汐留川について書いたとき参照した資料にときどき「汐留川(仙台川)」という表記があったのだが、理由がようやく分かった。
この地に仙台藩下屋敷が造られたのが1641年、当時は上屋敷(大名と家族が住む本拠地)は現在の日比谷公園野外音楽堂のあたりにあったという。その後1676年に汐留の屋敷が上屋敷となり、以後200年にわたり仙台藩の江戸における拠点となった。廃止されたのは明治になってすぐのことで、戊辰戦争で仙台藩が新政府軍と戦い降伏したのちに屋敷は没収された。その跡地には新政府によって、日本初の鉄道の起点駅が置かれることになる。
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