歌舞伎座前で最後のワッショイ!
2010年も5月に入ると、それまでの天候不順が嘘のように初夏の気候となり、都心に祭の季節がやってきた。有名なものでは神田明神の神田祭、浅草神社の三社祭があるが、5月に最初に催されるのが地下鉄八丁堀駅から徒歩で5分ほど海岸寄りにある鐵砲洲(てっぽうず)稲荷神社の例大祭である。わが新橋の烏森神社の例大祭よりもひと足早く、今年も5月1日から5日にかけて行われ、特に3日は御本社神輿の渡御で盛り上がった。
当日は、午前9時に宮出しが行われ、きらびやかな鳳輦(ほうれん:神輿に準ずる神様の乗り物=写真上)と御本社神輿が、にぎやかなお囃子とともに銀座8町を含む氏子地域を練り歩いた。ゴールデンウイークということで平日ほどの交通量ではなかったが、さすがに銀座地区は車も行楽客も多く交通規制が大変であった。最高潮に達したのはちょうど昼時の歌舞伎座前(写真中)。祭りの参加者や見物客に加え、4月に閉館し解体を待つばかりとなった歌舞伎座をカメラに収めておこうと集まった人たちも入り混じって大混雑となった。歌舞伎座前で神輿を担げるのも今年が最後とあって「和し背負え(ワッショイ!)」の掛け声にも一段と力がこもっていた。
近年は都内でも歴史や伝統文化を見直す動きが盛んになっているが、鐵砲洲稲荷神社の御本社神輿の渡御も、半世紀のあいだ途絶えていたものを10年前に復活させたという話。この神社は平安時代の841年に地域住民が産土神(うぶすなかみ)を祀ったのが始まりとされ、今年は御鎮座1170年にあたるらしい。しかし、実際に存在がはっきりしているのは江戸時代になってからのようだ。海岸の埋め立てが盛んになり、産土神を祀るこの神社は新しい土地ができるたびに海岸側に移転していった。一時は八町掘(八丁堀)稲荷神社と称していたこともあったが、この地は江戸湊の中でも一番奥まったところで、防衛上の意図から鉄砲や大砲の訓練所が設けられたことで鐵砲洲と呼ばれるようになり、神社は鐵砲洲湊のお稲荷様として親しまれ、それが現在の名称のもとになったようである。言い訳になるが、このあたりの経緯はちょっと調べたくらいでは正確にはわからず、推測の域を出ない。話半分として聞いていただければ幸いである。
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